福ちゃんとの交流が始まってから
八年になりますが、この一年の間
彼の姿を全く見かけません
彼ら一族の寿命は十年前後と文献
にはありますが、実際は病気や交
通事故、それと人間による殺戮、
寒さと空腹による衰弱により二、
三年の命とのことです
そう考えると、彼は随分と長生き
したことになります
おそらく私は彼と再び此の世で巡
り合うことはないと思われます
そこで、彼との交流の中で彼から
教わったことを此処に記しておき
たいと考えた次第です
一寸先は光
彼らに初めて出遭ったのは
秋の街並みが夜闇に完全に染まっ
た頃でした
直ぐ近くの墓地から這い出てきた
のです
彼らというのは、兄妹の二匹だっ
たのです
狐は夜行性とのことでしたが
交互に差し出す脚に合わせて首を
振りながら辺りに視線を巡らせて
いる其の動きは、飼い犬が散歩に
出かける悦びの表情です
夜行性とは言いながら、彼らが視
ているのは闇夜ではなく、闇夜の
その向こうにある光なのだと感じ
ました
不安なことに心縛られ、悲観にく
れたりはしない
彼らの眼には、闇の向こう側の光
しか映らない
否
視ない
受けた恩は何としても返さなくてはならない
この地域では珍しくもないマイナ
ス20度となった早朝のことでした
新雪に福ちゃんの足跡がありまし
た
福ちゃんとは兄狐に名付けた名前
ですが、後に妹狐も毎日訪ねて来
るようになったので、妹狐は福ち
ゃん2号と呼ぶようになりました
足跡は墓地の方から真っ直ぐ我が
家を目指しており、そうして墓地
に引き返していました
玄関先には、ピンポン玉ほどの蜜
柑が一個置かれていました
真っ黒に焦げた蜜柑でした
いつも食べ物を用意してくれてい
る小生へのお礼だと直ぐに分かり
ました
狐の恩返しの話しは良く聞くこと
です
この話しをすると必ず訊かれます
「何故、焦げた蜜柑なの?」
これについても、小生の胸に伝わ
ってきました
火事には気を付けて
例え極寒の雪降る日で、差し出す
モノが手に入らなくとも感謝の真
心は伝えることはできる
「無財の七施」という仏教用語が
在りますが、これは八つ目の施し
も在るではないかと考えさせてく
れました
過去の成功経験より未来に挑む
毎朝同じ時間に彼の食事を用意し
ていたのですが、私の怠慢により
寝坊、其の日以来彼は訪ねてこな
くなりました
あっさりとしたものです
習慣や成功体験に縋りついたりす
ることは一切ないのです
彼らは次の餌にありつくために
とにかく歩き続ける
言い換えると、生き残る道はた
だ一つ
受動より能動
8年間で何度も彼に遇い、その都
度新しい関係をその都度創ったの
ですが、我々だけに分かる方法で
彼の能動の領域にこちらから立ち
入っていったのです
つまり、やみくもに探し回った
結果です
此処までと思ったら其処まで
昨年の秋のことです
福ちゃんのテリトリーから直線距
離で約20キロの地点でのことです
左脚が極端に細くなり、明らかに
壊死した個体に遭遇しました
己の死期を悟った個体は、人間が
彼らの傍に近寄ってきても逃げない
逃げる気力も体力も無くなっている
のかもしれませんが
じっと動かず
己の死を受け入れるだと、自称
動物愛好家に聞いたことがあり
ます
自称とは、彼は動物の肉を好んで
食べるので、私が彼の其の肩書を
認め
ないだけの話しです
此処までと思ったら其処まで
これは、正確には奈良薬師寺東関
東別院 水雲山 潮音寺 副住職
(薬師寺・執事) 大谷徹奘さんの
お言葉です
いつまでも其の場を動かない個体
から、太宰治の「ヴィヨンの妻」
の一節を思い出しました
「人非人でもいいぢゃないの
私たちは
生きてゐさえすればいいのよ」
筑摩書房
昭和五十一年十一月十日初版発行
太宰治全集第九巻より引用
※写真は福ちゃん本人です
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